History クラブ沿革

クラブ沿革

発会式 1940年 4月23日 イタリア軒
R.I.加盟承認 1940年 5月29日
承認番号 5244(日本で36番目)
創立当時ガバナー 森村 市左衛門
スポンサークラブ 東京ロータリークラブ
チャーターメンバー 29名
会津 亦質、藤田 儀平、長谷川 徹、浜 州一、伊藤 文吉、
池田 正平、井上 英、小林 力三、小林与八郎、本島 一郎、
真野 善壽、松岡 益雄、宮崎藤次郎、南部 虎造、西川 外吉、
小幡 啓二、小田磯太郎、白勢 量作、斎藤庫四郎、斎藤 一男、
斎藤 貫一、塩野健太郎、鈴木 春雄、末松 春彦、田代 一郎、
敦井 栄吉、上原 堅次、山県 鼎一、村田 三郎
※1940年9月10日、戦争激化により解散するが、同年12月11日
 新潟火曜クラブの名前で再発足の日まで継続された。
再発会式 1949年10月25日 イタリア軒
再承認 1949年11月 8日
再発会当時ガバナー 手島 知健
特別代表 柏原孫左衛門(当時は特別代表の定めなきも、これに代わるもの)

これまでの歩み

新潟ロータリークラブの発会から近年までを、貴重な写真の数々で振り返りました。

  • 新潟ロータリークラブ発会式場

    1940年(昭和15年)4月23日、イタリア軒での発会式当時の写真。

  • イタリア軒における例会風景

    1951年(昭和26年)・1952年(昭和27年)頃の例会の様子。

新潟火曜倶楽部の名簿

1941年(昭和16年)1月当時の「新潟火曜倶楽部」名簿

  • 「6人の小林さん」の記念写真

    1951年(昭和26年)、新潟・群馬のIntercity General Forum(都市連合一般討論会)にて撮影。

    (後列左から)小林力三氏、小林与八郎氏
    (前列左から)長岡小林石油 小林社長、柏崎R.C. 小林会長、小林雅一 ガバナー(東京R.C.)、足利R.C. 小林社長
    ※1951年(昭和26年)までは全国一区でした/小林力三氏蔵

  • 加治川堤之お花見エクスカーション

    1951年(昭和26年)4月、手島ガバナーをお迎えしてお花見。

    このお花見エクスカーションの様子が、後日、東京ロータリークラブの週報に以下のように掲載されました。
    「大きく育った木々は枝を水面まで垂らし、川岸を歩くとまるで桜のトンネルを歩いているかのようでした。ここでは、人々が手の届く範囲に枝があるにもかかわらず、決して折ろうとしないことに、東京ロータリークラブの山本SAAは驚きました。東京では、人々が誇らしげに桜の枝を持ち帰るのをよく見かけるからです」

    (後列右から5人目が手島ガバナー)
    小林力三さん、鍵富清一郎さん、白勢ご兄弟ご夫妻など若々しく映っています
    ※小林力三氏蔵

「ロータリーの友 創刊号」に掲載

1953年(昭和28年)「ロータリーの友 創刊号」に新潟ロータリークラブが掲載されました

創立55周年記念例会

1995年(平成7年)イタリア軒で行われた創立55周年記念例会の様子

  • 創立70周年記念例会

    2010年(平成22年)イタリア軒で行われた創立70周年記念例会の様子